Somewhere over the Rainbow

すきなものをすきなだけ

いまふたたびのフィギュアスケート

フィギュアスケートにハマったのは92年アルベールビルオリンピック。まだ子供でしたが伊藤みどりさんがトリプルアクセルを決めて銀メダルをとった時のことは鮮烈に覚えています。

そこからお茶の間観戦するようになり、98年長野オリンピック時期には氷上のディカプリオことイリヤ・クーリックさんのファンに。当時は今のようにネットで何でも見られなかったので、できることといったら好きな演技のビデオを繰り返し見ることくらい。現地観戦なんて夢のまた夢すぎて思いつきもせず、朝でも晩でもひたすらビデオを見る。学校行く前も帰ってからも繰り返し見る。ただそれだけ(いまでもやっていることはほぼ変わらない)。

イリヤ引退以降は主要試合をチェックしつつ浅田真央ちゃんに歓喜し、高橋大輔さんのスケーティングに興奮。そして大ちゃん引退以降は宇野昌磨選手を応援しようと、ぼんやり決めたのはたぶんソチ選考全日本。その後、大ちゃん引退で燃え尽きそうなところ楽しく応援できる選手がいてよかった。と、昌磨さんを応援しつつ、世界トップとの点差にはまだまだこれからなのかなぁと思っていました。しかしオリンピック前年の世界選手権でのトップとの点差、これは…もしかして平昌でメダル…いける気がする…!

そして突入した五輪シーズン。勝つのが当たり前ななかでの全日本で、まさかの2回転半4回転に挑戦するという、普通はそこでやらないだろう冒険なジャンプ(まわりすぎるの回避のためだったけれど、モチベーション維持っていうのもやはりあったと思う)。優勝したけれど内容は決して良くはなかった。でも「転倒するのは分かっていたけど絶対に逃げないと思って跳びにいった」という趣旨のコメント。その心意気たるや良し。次の四大陸で弾みをつけて平昌だ!と勝手に思う外野(わたし)。

しかし四大陸選手権で1位を逃す。五輪直前の試合で2位かぁ…と勝手にうちひしがれていると、インタビューで「課題だった後半のジャンプを成功できてホッとしています。」「僕がやってきたことは何一つ間違いはなかったと思います。」という受け答え。四大陸で1位をとって、オリンピックへは良いイメージのまま行く!というのが旧時代なわたしの思考だったんですが…浅はかでした。なんというメンタルの強さ。

ひとつひとつの落ち着いた振り返りからは焦りよりもむしろどんどんピークを合わせていっている確信みたいなものが見えて、なんてすごい調整の仕方なんだ…と衝撃を受けた…!いやインタビューでは「オリンピックも普通の試合と捉えて」と発言されていたので通常運転だったと思うんですが…とはいえ初めてのオリンピック。本当にいつも通りの試合と思えるって…凄すぎます。

わたしにとってスケーターは滑りのみが重要なので、普段からあまりパーソナルに関わるものを見ないのですが、オリンピックへの試合運びとさらに銀メダル後の対応…いったいどういう人なの?と、気になってきて、気づけばインタビューあさるわ過去も振り返るわで、すっかり沼にはまっていました。

今のほうが20年前より情報がいっぱい手に入る環境。ますますの沼にずぶずぶするのはもはや必然。。。10年ぶりくらいにアイスショーにも行きました。沼おそろしい…。

いまふたたびのフィギュアスケート沼。というか宇野昌磨さんの沼。
全力で楽しもうと思います。